『微睡のセフィロト』:コンパクトにまとまった硬派なSF小説

微睡のセフィロト

マルドゥック・スクランブルを読み終えてから数日間、あまりの衝撃に打ち震えていた。かつてない興奮。頭の中がかき乱されて、再構築されていくような。例えるなら、過負荷をかけられた筋繊維が破壊され、修復されていくような感覚。

その読了感に浸ったまま、マルドゥック・スクランブルの原型≪プロトタイプ≫ともいわれる『微睡みのセフィロト』を読んだ。

あとがきを読んで仰天したんだけれど、これをたった2週間で書き上げたというんだから、やっぱ商業作家さんってすごいよね。伊藤計畫さんが、たった10日で書き上げたというエピソードを知ったときにも感じたことだけれど、やっぱりプロの作家さんというのはプロなんだなと。

なに当たり前のこと言うとんねん、って思う人もいるだろうけれど、ネット小説を漁ってみると商業作家さんと比肩する綺麗な文章書かれてる方とか、遜色ないプロットのお話書かれてる方とか、ごくたまにいらっしゃるじゃないっすか。

でも、プロの作家さんっていうのは、そういう次元とは違うんだなと改めて感じた今日この頃。

あ、そろそろ本題入ります。

マルドゥックとの対比

旧来型の人間、感覚者≪サード≫
超次元能力を有する感応者≪フォース≫
両者の間で戦争が起きた。結果、世界の大半は壊滅した。それからしばらくを経て、両者は共存する道を探り始めた。
そんな折、世界政府準備委員会≪リヴァイアサン≫のメンバーが、300億個もの微細な立方体へ混断≪シュレッティング≫される事件が発生。主人公のパッドは、世界連邦保安機構≪マークエルフ≫の感応者、ラファエルと共に捜査に乗り出す。

とまぁ、あらすじはこんな感じ。
コンパクトにまとまったストーリーながら、圧倒的な没入感を供する世界観はマルドゥック・スクランブルと比肩する。ストーリーの分量的に、世界観の説明描写は必要最小限に留められている。だが、一度読み始めると、感応者≪フォース≫たちの多彩な能力に魅了されること間違いない。

そもそも、事件の発端である混断≪シュレッティング≫という能力自体が、極めてユニークだ。

殺す一歩手前で寸止めし、かといって生きているとは言えない状態にする。その具体的な原理やら設定を、縷々と説明しないシンプルさがまた心地いい。

感応者が能力を使用した際に、周囲に立ち込める香り。この設定も五感を刺激していて面白い。マルドゥックで、ウフコックが匂いから人間の感情を読み取るように、パットもまた臭いを頼りに感応者の能力を察知する。

今思い返せば、マルドゥック・スクランブルも必要以上に設定やら委細に言及せず、ルビによってある程度の説明を補填していたので、この点は両作品ともに共通している。

 

重力→ フロート
操作→スナーク
殻→スーツ といった具合に。

ルビによって、ある程度体感的に説明されるので、いたずらに文字数を割いて説明されるよりも世界観の概要がすっと飲み込める。読んでいる最中のあの没入感と疾走感を邪魔しない。それでいてシンプル。これぞまさに職人技である。

キャラクターについては、マルドゥックのボイルドがパット。バロットがラファエル。ウフコックがヘミングウェイ。それぞれが、オーバーラップして見えてくる。

思索的で繊細なウフコックと比較して、ヘミングウェイはもう少し動物寄りの存在として描かれる。言うなれば、よく訓練された警察犬のような。人間の言葉を理解し、自らの意思を主張する明敏さを持ち、ウフコックと唯一違うのは言葉を発せないこと。

このヘミングウェイの存在がまた良かった。

ハードボイルドな雰囲気に、ひっそりと添えられたユーモラス。動物好きは思わずにんまりとするシーンもあったり。とくに、犬が主張するときの無言の圧力というか、なまじ言葉を発せないゆえに雄弁に語る感情が、非常にピンポイントで描写されている。

冲方さんは動物飼ってらっしゃるんだろうか?

作家性

同じ作家さんの作品を読んでいて、ときたま思うことがある。作家性という曖昧模糊とした言葉についてだ。

あの作家さんの作品には、作家性がある。
あの映画監督は、ゆるぎない作家性を持ったクリエイターだ。

そんな文脈で使われる言葉。

私が尊敬してやまない神山健治監督が、エッセイ集『映画は撮ったことがない』の中で言及されていて、それ以来ずっと私の頭の片隅で燻っている疑問符でもある。

いったい何が、その作家さんの作家性たるものを成立せしめるのか。ある作品を一つだけ取り上げても、その作家性は浮かんでこない。だが、その作家さんの作品を見通してみると、その共通項が浮かび上がってくる。

たとえば、押井守監督の映画では『現実と虚構』『犬』『世界観』
クリストファー・ノーラン監督の作品だと『時間』『重力(落下)』『青い画面』『本』

冲方丁さんの場合、ライトノベルから時代小説、はたまたアニメ脚本まで手広く手がけておられるので、その共通項が見えにくい。だが、確実に作家性たる何かがある。まだ、その正体が掴めないでいるのだけれど、まだ冲方さんの著作に全て目を通したわけではないので、時間をかけて探ってみようと思う。

こと文体に関しては、冲方さんのそれは限りなくシンプルで美しい。一文の長さだとか、描写の多寡だとか、そういうのではなしに概観して無駄がないのである。限りなく研ぎ澄まされたミニマルな前衛音楽のような、一切の余剰を欠いた文章。どうしても色んな情報を一文に縷々と詰め込んでしまう私は、ページを捲るたびに「ははぁ〜」と唸ってしまった。

圧倒的な世界観 / ヴァイオレンスでブルータルな狂気 / ルビ / 文体──でも、これだけじゃないような気がする。作家性という言葉の定義自体が漠然としているゆえなのかもしれないけれど、冲方丁さんの作家性の正体が掴めないでいる。

たぶん、冲方さんがジャンルの域を飛び越えて活躍する超人的マルチスキルの神だから、というのもその一因ではあると思うのだけれど……

表現としてのルビ

冲方さんの作品では、しばしばルビが表現手法の一つとして扱われる。いわば音楽アルバムのA面とB面のような関係性。ある言葉を提示しておきながら、同時に別の意味を伝え、別のイメージを印象づける。

これが、マルドゥックやセフィロトのようなSFと合わさると、圧倒的な世界観に没入する装置として機能し始める。

学生時代、ジェイムズ・エルロイやサリンジャー、チャンドラーなどの海外小説一辺倒だった私は、ルビという表現手法に今なおどことなく惹かれてしまう。だって、冷静に考えてもみてほしい。訳された日本の言葉と、海外の(つまり、原文で読んでいる読者の視点)言葉を同時に読める。これって、とてつもなくクールな表現だと思う。

どれくらいクールかって、暴虐的な音楽と見做されがちなヘヴィメタルというジャンルにおいて、耽美的な旋律を奏で、なおかつアルバムジャケットに『ゴダイヴァ夫人』をもってくるドイツのメロデスバンド『ヘヴン・シャル・ヴァーン』くらい最高にクール。なに言うとんねん、って人は今すぐYoutubeでチェックするんだ。

まぁ、真面目な話、攻殻機動隊の笑い男ぐらいクールだと思うんだよね。

ライトノベルの中二病的なルビもふくめて、このクールな表現手法が私は大好きなのだ。

だからこそ、マルドゥック・スクランブルを読み始めたときは無性にテンション上がったし、読了の勢いそのままで読み始めたセフィロトでも興奮したんだけれど。

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