マルドゥック・スクランブル:斬新かつクールな傑作SF小説

マルドゥック・スクランブル

久しぶりにSF小説を読んだ。学生時代は、授業そっちのけでSF小説を貪るように読んだ。フィリップ・K・ディック、ウィリアム・ギブスン、アイザック・アシモフ──工業都市の象徴たる排ガスが烟る中、ネオンの灯りが怪しくまたたく。そんな近未来を想像しては、ひとり法悦していた。

だが、三日坊主で、なおかつ飽き性の私は、ほどなくSF小説から離れていった。そんな折だった。社会人になってから、1冊のSF小説と出会った。数年ぶりのSF小説だった。伊藤計劃『虐殺器官』──アニメ化前提のSFアクションのよう、というのが表紙から受けた印象だった。だが、冒頭を少し読んだだけでその鋭い洞察力と、虐殺とはアンバランスなセンチな一人称文体から、その印象が誤っていたことを思い知らされた。

私のSFブームが再び到来した。そして、伊藤計劃さんと並んでよく見かける名前が冲方丁さんだった。まずは代表作を読んでみようと手を出したのがマルドゥック・スクランブルだった。

読み始めたら止まらなかった。撃発した弾丸のごとく、一度読み始めると着弾するまで一挙に読んでしまった。面白い。カッコいい。何が面白いって全部ですよ、全部!

キャラクターも、ストーリーも、世界観も、文章もすべて。そのすべてが円満具足にして完璧。間然する所がないとは、まさにこのこと。

こうして、私のマイベストシリーズを収めた本棚に、新たな作品が加わった。

2000年代SF小説の金字塔

マルドゥック・スクランブル

©️冲方丁 / マルドゥック・スクランブル製作委員会

銃をバンバン撃ちまくる少女。ヴィジュアル的にアニメと親和性の高そうなこの設定が、かくも硬派なSFになるなんて、1ページ目を捲ったときは想像もしなかった。

近未来のアメリカを彷彿とさせるマルドゥックシティ。天高く屹立するブロイラーハウス。名の由来はは、市の政令中枢部にあるモニュメント「天国への階段」にちなむ。

少女でありながら娼婦として働くバロットは、オクトーバー社の手先であるシェルの奸計によって、瀕死の状態に陥る。マルドゥック・スクランブル0-9≪オーナイン≫法、禁じられた科学技術を使うことで一命を取り留めたバロットは、その圧倒的な電子干渉≪スナーク≫技術と、委任事件捜査官ドクター、ウフコックの協力を得て、シェルに法の裁きを受けさせようと行動する。

一見すると、SFアクションエンターテイメントに見えるその奥には、ヘヴィでブルータルなヴァイオレンスがある。そもそも、少女でありながら娼婦という設定自体がかなりヘヴィだ。

ヴァイオレンスでグロテスクといえば、序盤で登場する誘拐屋の一味に勝る者はいない。

人体のパーツに対して偏執狂的な憎愛を見せるミディアム・ザ・フィンガーネイルほか、実働部隊の面々。情報戦に特化したフレッシュに至っては、全身に乳房を移植した肉塊として描写される。

このグロテスクで、暴力に満ちた世界観に反して、主人公のバロットは屈託のない純粋さを見せる。ウフコックとの不思議な関係性や、ドクターとの擬似的な父子関係。トゥイードルディや、ベル・ウィングとの出逢いと変化。

この暴力に満ちた世界で、自らの生を探して闘うバロットの姿に心を打たれた。

巻末のあとがきで、冲方さんが書いていた言葉が、バロットの旅路をいみじくも言い表していると思った。

最善であれ、最悪であれ、人間は精神の血の輝きで生きている。エンターテイメントは、その輝きを明らかにするための方法に他ならない。

エンターテイメントの本質を的確に表現した言葉だと思う。同時に、これはバロットの辿った『マルドゥック・スクランブル』の軌跡でもある。

どうして、ヴァイオレンスが支配する世界で、凄惨な運命を辿る少女を描く必要があったのか──その問いに対する答えがこの言葉なのだと思う。

人々は、エンターテイメントを求める。
映画、小説、ゲーム、いずれの媒体においても観客はその作品世界に入り込み、そこで喜怒哀楽を経験して物語の幕を閉じる。その一連の経験が、「面白い」という感想に帰結する。

主人公と同化し、同じ経験を共有し、作品を後にするとき、私たちは何らかのカタルシスを得ている。

そのカタルシスこそ、精神の血の輝きであり、バロットが辿った苦難の道のりに他ならない。

マルドゥック・スクランブルはSF小説の傑作だ。同時に、現代のエンターテイメント小説の傑作でもある。

メイド・バイ・ウフコックという安心感

ウフコック・ペンティーノ

©️冲方丁 / マルドゥック・スクランブル製作委員会

マルドゥック・スクランブルに登場するキャラクター達は、どれも個性的で魅力的だ。
その中でもひときわ存在感を放つのが、バロットの相棒にして、宿敵ボイルドの旧友、ウフコック・ペンティーノである。

黄金色のネズミと、心に傷を負った少女。このちぐはぐな二人の関係性が、ストーリーを追うごとに展開していく様子が本作の魅力の一つだ。

煮え切らないやつ=ウフコックと、数字の5=ペンタゴンに因んだネーミング。

あらゆるモノに変身≪ターン≫するというチート感満載の能力を持つ。最初こそ、煮え切らない態度を示していたウフコックだが、バロットが純粋に自らの存在を追求し始めたとき、ウフコックはバロットを支える殻≪スーツ≫となった。

作中でバロットが着用するスーツのように、心身ともにバロットへ寄り添い、融合し、彼女の能力を十全に発揮するべくその有用性を証明する。

不器用な二人の歪な関係性とその変化は、読んでいて微笑ましかった。二人の関係が深まるにつれて、ボイルドが投げかける嫉妬と悔恨の入り交じった視線が、なんとも不憫に感じられた。

ウフコックの力を濫用し、傷つけて打ち捨てたのはボイルドだが、心のどこかではウフコックの元を去ったことを後悔してるんじゃないか。本当は、バロットのようにウフコックと一緒に居たかったんじゃないか。

そう思えてならなかった。だからこそ、クライマックスの対決シーンは、凄まじい描写と相俟って涙なしには読めなかった。

ボイルドには冷厳で、仮借のない残酷な力強さがある。そのうえ、重力を自在に操るという、これまたチートのような能力。読み進めていくうち、ボイルドの追跡が迫るうちに読者は空恐ろしさを感じる──本当にこんな奴に勝てるんだろうか、と。

だが、メイド・バイ・ウフッコクの安心感たるや。

ウフコックの存在を全身で感じ取り、バロットが落ち着きを取り戻すように、私たちもまたウフコックの存在を思い出して安堵する。

ウフコックは、バロットに「自分の有用性を証明する」と言った。そして、バロットの相棒としてボイルドと対決し、最後はあんな状態になってしまった。

ルビ、描写

マルドゥック・スクランブル

©️冲方丁 / マルドゥック・スクランブル製作委員会

「ルビ」という要素は不思議なものだ。難読漢字に振れば、リーダビリティーを補助する装置として機能する。また、ニューロマンサーのように、新しい概念を伝える手段として、漢字とカタカナを同時に見せることもできる。

電脳空間≪サイバースペース≫といった具合に。

私はずっと、ルビの役割というのは、CDのA面とB面のような関係性だと思っている。1つの言葉を提示しながら、同時に別の意味と印象を与える。この二律背反な関係性が独特の世界観を構築する。

マルドゥックでは、バロットが電子機器に介入するのを操作《スナーク》と表現している。どういう原理でとか、細かい点など気にせずルビによって印象づけられることで、この独特な設定がすんなりと頭に入ってくる。そして、文中で繰り返し読んでいるうちにスムーズに理解できる。リーダビリティを阻害しない。

作者が若干26歳のときに書いたとは思えないくらい強烈な描写、作中のクライマックスであるポーカーのシーンしかり。まるで、実際にカジノのテーブルについてゲームに参加しているかのような頭脳戦と心理戦(ウフコックという心強いサポートがありながら、バロット自身も成長していく)でも、簡潔な文体とあわさってルビが最大の効果を発揮している。

カードが素早く配札され、開示され、ポーカーが展開していく。これがずっと繰り返されるのに、緊張感は高まり続ける。

SFとポーカーという組み合わせも斬新で面白いが、このスピード感と緊迫感あふれる描写こそ、マルドゥック・スクランブルの妙なのだ。

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